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養老天命反転地

 昨日、この地方に雨を降らせた黒雲は海上へと去って行ったが、逃げ遅れたかのように取り残された雲たちがいくつか空に点在していた。雨雲の意地を見せるかのように雲は厚い。青空に漂いながらも決して日を通そうとしないので、電車から見える田園風景は日なたと日陰のコントラストが強くなって、見える景色は特殊な柄に覆われながらどこまでも続いていた。
 大垣から養老線というローカル線に乗り換える。雨雲を吹き飛ばした強風は今日も収まらず、窓の外の木々がワサワサと揺れている。刈り取られて坊主となった田畑の向こうを電車と平行して国道が通っている。国道沿いのパチンコ屋やガソリンスタンドの幟もバタバタとはためいている。
 向かいの席に座る高校生はイヤフォンをしたままうたた寝をしている。よれて汚れた制服はだらしがないが、髪型と眉毛だけはやたらと手が込んでいるように見える。それにしても髪の量が多い。隣りに座る老夫婦は登山の格好をしている。養老渓谷へ行くつもりなのだろうと推察する。
 30分程で養老に着く。駅前の観光案内板で場所を確認してから歩き出す。坂道を10分程上ったところで到着した。養老天命反転地だ。

 養老天命反転地とは、荒川修作とマドリン・ギンズというアーティストが作った巨大なアート。というかテーマパーク。絶望的、消極的な状況を覆し、それらを反転させる事によって(絶望から)希望を生みだそうという試みである。水平、垂直を極力廃する建造物を造り、そこに触れる事によって身体から精神へと反転の作用を及ぼそうとする実験である。
 以前岐阜でライブをした後の打ち上げで聞いた話。うねった地面と曲がった壁と狭過ぎる通路と反転した配置で作られた箱庭のような世界が岐阜の奥地にあるという。ある芸術家が作った脳内世界の具現化。それはまさに江戸川乱歩ではないか!と話を聞いた私は心の中で驚愕し歓喜した。己が妄想に飲み込まれた末に現実との接点を失った男の話。自らの空想を実現させる為に命を失った男の話、この世に退屈しきった先に踏み込んだ禁断の世界の話、かつて江戸川乱歩が書いた、妖艶で猟奇的で禁断で甘美な世界は、ある時期の私にとって、現実よりも遙かに大きい魅力を持っていた。反転地を作った芸術家を私はまったく知らない。上記の説明もパンフレットの要約である。しかし、反転地は常に憧れであった。幼き頃の夢想に通じる憧れであった。現在コンクリートのパークに寄せる憧れでもある。
 
 パークを流すのは身体感覚の喪失と言えるか?その時意識は反転しているか?次のコブへ、次のカーブへと意識は体を置いて先へと進む。全身の感覚は縮小し、接地している角度のみが僅かに意識に留まる。あとは浮遊感のみ。先へと進む意識と接地面を辛うじて感じる感覚。意識は加速を求めているのに体がそれに着いていかない。加速を求め加速を求め加速を求めた果てに、微かなブレが高速の中で増幅して体が転倒する。あの気持ちは反転といえるのだろうか?転倒が行き着く先は怪我以外にあるのか?

天命反転地で思考を繰り返す私の背後に広がる山の頂を越えて来た雨雲が再び雨を降らせる。その雨に追い立てられるように私は駅へと足を向けた。


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